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おばあちゃん(日本人)の影響から、5歳くらいから演歌は聞いていたと思います。色んな演歌の曲を聴いて、覚えて…。おばあちゃんの前で歌うととても喜んでくれたんです。その内、自分も演歌が好きになりました。美空ひばりさんの曲が多かったですね。その頃流行ったR&Bの曲も聞いていましたが、心に残ったのは演歌でした。
おばあちゃんのおかげで、出会えたものだと思います。演歌がなければ、今僕は日本にいなかったですね。僕と家族をつないでくれたものでもあり、僕と日本をつないでくれたものでもあると思います。
子供の頃から演歌を通じてずっと日本に行ってみたいと思っていました。初めて日本に来たのが、15歳の時。日本語スピーチコンテストで来て、10日間という短い滞在でしたがめいっぱい日本を楽しんだと思います。テレビを見たり、CDを買ったり…。いつか日本に戻りたいと思いました。でも、すぐにできるものではないからとりあえず日本には行きたかったけど、色んな可能性が広がることはしたかったです。
その中で、昔からテクノロジー的なものやパソコンなどが好きだったので、そういう勉強をしたいなと思い大学の情報科学科に進学しました。大学卒業後は、再び日本に。日本に来たばかりの頃は、演歌歌手になりたいという漠然な気持ちはありましたけど、実際に何をしていいか分からなくて、英会話教師として働いていました。その後、コンピューター技師などの仕事もしつつ、並行してカラオケ大会や『NHKのど自慢』などにも挑戦していました。
そういう中で2005年に、おばあちゃんが亡くなって…。やりたい仕事も演歌歌手への道も、思うように進まない時期でした。僕はポジティブだと思いますが、この時はかなりショックで、次の1年でダメだったらアメリカに帰ろうと思いました。でも、その後デビューが決まって。おばあちゃんが見守ってくれたのかなと思います。
デビューが決まってからは、それまで受けたことのないボイストレーニングを1年半習い、レコーディング。そして、2008年2月に「海雪」でデビューしました。
紅白出場の一報を聞いた時、「演歌歌手になる!」と昔おばあちゃんに約束したことが、ようやく果たせたなという達成感を感じました。でも、一番連れていきたかったおばあちゃんはもういなくて…。おばあちゃんのことは残念だったけど、お母さんが来てくれたことはとても嬉しかったです。客席からお母さんが自分の歌を聴いてくれて、自分の中で親孝行ができたなと思いました。
アメリカでは絶対できないと思っていましたし、やる必要がないとも思っていました。何故かというと、言葉は違うし、わざわざ英語で演歌を歌う必要性が感じられなかったからです。でも、ワールドミュージックではないですけど、言葉が分からなくても聞きたいという方がいるのならやろうという前向きな気持ちになり、挑戦してみました。
2公演やらせて頂き、2公演とも満席だったのにはとても感謝しています。ただ公演前は不安で仕方ありませんでした。何しろ言葉は違うし、演歌の気持ちがそこまで伝えられるのかな、と。でも公演が終わると、お客さんが立って下さって。握手を求められた時には、すごく充実感がありました。
こういった日本の文化を広げる特別な賞を頂いて、非常に嬉しいです。こういった形で、少しでも海外の方に演歌にふれて頂ければと思います。是非、またアメリカでもやりたいと思っています。
(※)日本文化研究で最高峰とされるカリフォルニア大学バークレー校が’09年に創設した賞。日本文化理解の促進に貢献した個人を称えるもの。
僕は家にいる時は、部屋を絶対に乾燥させないように気をつけています。加湿器は必需品ですね。あと、毎日サプリメントを飲んでいます。マルチビタミンを摂っていて、ビタミンCは多め。健康を維持するのは大事なことだと思います。また、運動や食事にも気をつけています。去年の1月からジムに通ったり、食事はあまり炭水化物をとらないようにしています。
今まで収録した曲、配信限定の曲、タイアップ曲などが入っています。その中で、ボーナストラックとして宇崎竜童さんが作った歌詞なしの曲がはいっていて、その曲の歌詞を一般の方から募集するという企画が見どころです。応募頂いた歌詞は僕も実際に審査します。良い歌詞があれば実際にCD化となるかもしれません。
自分の健康を大切にするのは難しい時代だと思います。でも、人生を楽しめるのも健康だからこそだと思うんです。ネガティブなことを考えるよりもポジティブに考え、自分自身で元気になって、せっかくの人生楽しく生きましょう。
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